風の便りと、陽だまりの猫

「美咲、ちょっといいかしら」
金曜の夜、いつものように缶ビール片手に海外ドラマを観始めたところで、母からの電話だった。
またお見合いの話かしら、と少しうんざりしながら応答する。大手メーカーの営業として走り続けて、気づけば三十九歳。
最近じゃ、後輩の育成だの、新しいプロジェクトリーダーだの、責任ばかりが増えて、自分のキャリアにもなんだか頭打ち感を感じていた。
プライベートはと言えば、推し活に励む同僚を横目に、私はと言えば愛猫(もちろん妄想)との生活を夢見る日々。
「あのね、田舎のおばあちゃんの家、ずっと空き家にしてたでしょう? さすがに少し片付けないといけないと思ってね。美咲、週末にでも一度見てきてくれない?」
正直、気乗りしなかった。最後にあの家を訪れたのは、大好きだった祖母が亡くなった時だから、もう十年以上も前だ。
子供の頃は夏休みのたびに訪れて、縁側でスイカを食べたり、裏山を探検したりした、思い出深い場所ではあるけれど。
「うーん、まあ、いいけど…」
「助かるわ! あ、そうそう、庭にね、時々白い猫が来るらしいのよ。タマにそっくりなんだって、ご近所さんが言ってたわ」
タマ。祖母が溺愛していた、真っ白で賢い猫。

その名前を聞いた途端、胸の奥がきゅっと甘酸っぱいような、懐かしいような感覚に包まれた。
翌週末、私は新幹線とローカル線を乗り継いで、祖母の家へと向かった。
駅に降り立つと、むせ返るような緑の匂いと、少し湿り気を帯びた空気が私を迎えた。
都会のコンクリートジャングルでは決して味わえない、懐かしい感覚。
古い木造の門を押し開けると、そこには手入れが行き届かなくなった庭が広がっていた。
雑草こそ茂っているけれど、祖母が好きだった紫陽花や桔梗が、今年も健気に花を咲かせている。
そして、その紫陽花の影から、ひょっこりと白い猫が顔を出した。
「…!」
息をのんだ。本当に真っ白な毛並み。
そして、片方の耳の先が、ほんの少しだけ桜の花びらのように欠けている。まるで、タマが生き返ったみたいに。
「タマ…なの?」
思わず声をかけると、猫は少し警戒したように私を見つめた後、ゆっくりと近づいてきた。そして、私の足元にすり、と頭をこすりつけたのだ。
その感触は、遠い記憶の中のタマと全く同じだった。
「はじめまして、かな? 私は美咲。この家のおばあちゃんの孫なの」
猫は「にゃあ」と短く鳴いて、まるで「知ってるよ」と言わんばかりに私の顔を見上げた。

私はその場にしゃがみ込み、恐る恐るその柔らかな毛を撫でた。ゴロゴロと喉を鳴らす音が、静かな庭に心地よく響く。
その日から、私の週末は一変した。
金曜の仕事が終わると、私は勇んで祖母の家へと向かい、家の片付けを始めた。
そして、その傍らにはいつも、私が勝手に「シロ」と名付けたその白い猫がいた。
シロは、驚くほど人懐っこかった。
私が畳の部屋で古いアルバムを広げれば、そっと隣に座り込み、私が縁側で買ってきたお団子を食べれば、キラキラした目で見つめてくる。(もちろん、猫用のおやつをあげたけど!)その仕草の一つ一つが、本当にタマにそっくりで、私は何度も祖母との温かい日々を思い出した。
「おばあちゃん、見てる? あなたが可愛がってたタマみたいに、私もこの子と仲良くなったよ」
心の中で祖母に語りかけると、どこからか優しい風が吹いてきて、シロの毛をふわりと揺らした。
家の片付けは思った以上に大変だったけれど、不思議と苦ではなかった。
むしろ、祖母が大切にしていたであろう品々を手に取るたび、祖母の温もりや愛情深さを再認識し、胸が熱くなった。
埃をかぶった桐ダンスの奥から出てきたのは、私が子供の頃に祖母に宛てて書いた、たどたどしい文字の手紙。
それを読んだ時、思わず涙がこぼれた。
「美咲ちゃん、頑張ってるのねえ」

ある日、庭の草むしりをしていると、隣の家の奥さんが声をかけてくれた。昔から祖母と仲が良かった、鈴木さんだ。
「あら、シロちゃんも一緒なのね。この子、本当にタマちゃんにそっくりで、私たちもびっくりしてるのよ」
「シロって呼んでるんです。この子、地域猫なんですか?」
「そうそう。おばあちゃんが亡くなってから、どこからか現れてね。みんなでご飯をあげたりして見守ってきたのよ。特にタマちゃんを可愛がってたおばあちゃんの家の庭が、一番のお気に入りみたいでね」
鈴木さんから聞く祖母の昔話は、私の知らない祖母の一面を教えてくれた。
そして、シロがこの地域の人々に見守られてきたことを知り、人の温かさに心がじんわりと温かくなるのを感じた。
都会では希薄になりがちな、こういう繋がりって素敵だな、と素直に思えた。
週末ごとに祖母の家とシロのもとへ通ううち、私の中で何かが変わり始めていた。
都会の喧騒の中で、数字や成果ばかりを追いかけていた日々。
それはそれで充実していたはずなのに、どこか心が乾いていたことに気づいたのだ。
「私、何がしたかったんだっけ…」
縁側でシロの背中を撫でながら、ぼんやりと空を見上げる。
子供の頃、この場所で私は何を見て、何を感じていたんだろう。自分のルーツ、本当に大切にしたいもの。
そんなことを、シロの穏やかな寝息を聞きながら、ゆっくりと考える時間が増えた。
「この家、私、リフォームして住もうかな」
ある週末、いつものようにシロと縁側で日向ぼっこをしていた時、ふとそんな言葉が口をついて出た。
シロは私の顔をじっと見つめ、「にゃーん」と長く鳴いた。まるで、「それがいいよ」とでも言うように。
その決断は、自分でも驚くほどすんなりと心に落ちた。

もちろん、都会でのキャリアを完全に捨てるつもりはない。
でも、この心の故郷とシロとの時間を大切にすることで、きっと新しいバランスが見つけられるはずだ。
リフォームは、知り合いの建築家に頼んで、祖母の家の趣を残しつつ、現代的で住みやすいデザインにしてもらった。平
日はバリバリと仕事をこなし、週末は緑豊かなこの家で、シロとのんびり過ごす。そんな新しい生活が始まった。
リフォームされた家の広いリビングの窓辺には、シロ専用のふかふかクッションが置かれている。
シロは相変わらず庭の主として君臨しつつ、家の中では私の足元で丸くなったり、キーボードを打つ私の手元を邪魔したりと、愛らしい姿を見せてくれる。
近所の人たちとも、以前よりずっと親しくなった。鈴木さんからは採れたての野菜を分けてもらったり、一緒にお茶を飲んだり。
そんな何気ない日常が、私にとってかけがえのない宝物になっていた。
「美咲ちゃん、なんだか顔つきが優しくなったわね」
母にもそう言われた。自分でもそう思う。肩の力が抜けて、心に余裕ができたのかもしれない。
ある晴れた午後、庭でハーブを育てようと土をいじっていると、シロが私の足元に小さな野ネズミ(もちろんおもちゃの)を運んできた。
得意げな顔で私を見上げるシロが可笑しくて、思わず笑みがこぼれる。
「ありがとう、シロ。あなたは最高のハンターね」
この家で、私はたくさんのものを取り戻した。
そして、新しい何かを始める予感も感じている。
もしかしたら、いつかこの場所で、猫と人が集える小さなカフェを開くのもいいかもしれない。
そんな夢を、シロの温もりを感じながら、そっと胸に抱くのだった。
キャリアの停滞感なんて、もうどこかへ消えていた。
都会での仕事も、週末のこの家での生活も、どちらも今の私にとって大切なもの。
シロが運んできてくれたこの幸せな日々は、きっとこれからも続いていく。
そう、確信できるのだった。
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