三毛猫が運んできた、午後のひだまり

三毛猫が運んできた、午後のひだまり

高橋美咲、三十五歳、独身。都心にほど近いマンションの二階で、一人とパソコンに向き合う日々。フリーランスのウェブデザイナーとして独立して三年。好きな時間に起きて、好きな音楽をかけて、誰に気兼ねすることなく仕事に没頭できる毎日は、気楽で、それなりに気に入っていた。

ただ、時折、ふと窓の外に目をやると、空の青さや雲の白さが、妙に胸に沁みることがあった。ベランダには、かつて実家で可愛がっていた猫の写真と一緒に、小さな多肉植物がいくつか並んでいるだけ。このマンションはペット禁止。それが少しだけ、寂しかった。

そんなある日の午後三時。集中力がぷつりと途切れて、淹れたてのコーヒーを片手に窓辺に立った時のことだ。視界の端に、ふわりとした動きを感じた。見ると、ベランダの手すりの上に、一匹の猫がちょこんと座っている。白、茶、黒の見事な三色。陽の光を浴びて、毛並みがきらきらと輝いていた。

「……猫?」

思わず声が出た。猫はぴくりと耳を動かし、大きなアーモンド形の瞳でこちらを一瞥した。だが、逃げるそぶりはない。むしろ、「何か用?」とでも言いたげな、堂々とした態度だ。美咲はそっと窓に近づいたが、猫は悠然と座ったまま。しばらく無言で見つめ合った後、猫はすっと立ち上がり、しなやかな体をするりと翻して、手すりの向こう側へと消えていった。まるで幻だったかのように。

翌日も、その次の日も。午後三時になると、あの三毛猫は律儀に美咲のベランダに現れた。美咲はいつしか、心の中でその猫を「ミケ」と呼ぶようになっていた。どこかの飼い猫だろうか、それとも自由気ままな野良猫だろうか。首輪はしていない。

ミケが現れる午後三時は、美咲にとって特別な時間になった。仕事の手を休め、窓辺でミケの姿を探す。警戒心が強いのか、美咲が窓を開けようとすると、さっと姿を消してしまう。それでも、ガラス越しに見るミケの姿は、単調になりがちな在宅ワークの日々に、ささやかな彩りを与えてくれた。毛づくろいをする仕草、あくびをする大きな口、時折見せる退屈そうな表情。どれもこれもが愛おしい。

ある日、美咲は思い切って、猫用のおやつをベランダの隅に置いてみた。窓を閉め、カーテンの隙間からそっと見守る。ミケはいつものように現れ、くんくんと匂いを嗅ぎ、最初は訝しげにしていたが、やがて小さな口でカリカリと音を立てて食べ始めた。美咲の胸に、じんわりと温かいものが広がった。少しだけ、距離が縮まった気がした。

三毛猫が運んできた、午後のひだまり

そんな穏やかな関係が数週間続いた頃、事件は起きた。いつものように現れたミケは、おやつを食べ終えると、ふいに身軽なジャンプでベランダの低い仕切りをひらりと飛び越え、隣の部屋のベランダへと侵入してしまったのだ。

「あっ、ミケ!」

美咲は慌てて窓を開けたが、ミケは振り返りもせず、隣のベランダに置かれたプランターの匂いを嗅いでいる。どうしよう。隣にはどんな人が住んでいるのだろう。引っ越してきて二年になるが、顔を合わせたのは数えるほど。挨拶程度の関係で、どんな人なのか全く知らなかった。迷惑をかけてしまったらどうしよう。美咲はオロオロするしかなかった。

その時、隣の部屋の窓が静かに開き、上品そうな白髪の女性が顔を出した。年の頃は六十代後半だろうか。女性はミケを見ると、驚いた様子もなく、優しい声で話しかけた。

「あらあら、今日はこっちに来たの?お腹すいた?」

ミケは慣れた様子で女性にすり寄り、「にゃあ」と甘えた声を出している。どうやら、隣の住人もミケと顔なじみらしい。女性はミケの頭を優しく撫で、それから美咲のほうに気づくと、にこりと微笑んだ。美咲は慌てて頭を下げた。

「すみません!うちに来てた猫が、そちらに…」 「いいのよ、気にしないで。この子、時々こうして遊びに来るの。あなたのお宅にも?」 「は、はい。最近、毎日来るようになって…」

それが、隣に住む佐伯律子さんとの初めてのまともな会話だった。

三毛猫が運んできた、午後のひだまり

翌日、美咲は菓子折りを持って律子さんの部屋を訪ねた。律子さんは快く招き入れてくれ、美味しいお茶と手作りだというクッキーを出してくれた。部屋の中は、品の良い調度品と、たくさんの観葉植物で彩られ、穏やかで心地よい空間だった。

「ミケちゃんって呼んでるのね。私も、勝手に『ミケ』って呼んでるわ」 律子さんはそう言って、くすくすと笑った。 「あの子、本当に気まぐれで。どこから来てどこへ行くのかしらね」

話してみると、律子さんはとても穏やかで話しやすい人だった。夫に先立たれ、一人暮らしをしていること。ガーデニングが趣味で、ベランダでささやかながら季節の花を育てていること。そして、地域の猫ボランティアにも少し関わっていることを教えてくれた。

「この辺りもね、野良ちゃんが多いのよ。無責任に餌だけあげる人もいるけど、私たちはちゃんと去勢・不妊手術をして、地域猫として一代限りの命をみんなで見守ろうって活動をしているの」 ミケも、もしかしたらその活動で見守られている猫の一匹なのかもしれない。そう思うと、ミケの存在が、ただの気まぐれな訪問者から、地域と繋がる小さな架け橋のように思えてきた。

それからというもの、美咲と律子さんの間には、ささやかな交流が生まれた。廊下で会えば立ち話をし、律子さんからおすそ分けの煮物をもらったり、美咲が旅行のお土産を渡したり。ベランダ越しに、咲き始めた花の名前を教えてもらうこともあった。ミケは相変わらず午後三時になると美咲のベランダに現れ、時には律子さんのベランダへも足を延ばす。二人の間を行き来するミケの姿は、まるで小さなメッセンジャーのようだった。

ある雨の強く降る午後、美咲は少し気分が落ち込んでいた。クライアントからの修正依頼が重なり、思うようにデザインが進まない。ため息をつきながら窓の外を見ると、ベランダの隅、軒下のわずかなスペースで、ミケが小さな体を丸めて雨宿りをしていた。濡れないように、じっと耐えている姿。その健気さに、なんだか胸が締め付けられた。

ふと、隣のベランダに目をやると、律子さんがそっと窓を開け、小さな段ボール箱と古タオルをミケのそばに置いているのが見えた。ミケは最初警戒していたが、やがておずおずと箱の中に入り、タオルに顔をうずめた。律子さんの静かな優しさが、雨音に混じって美咲の心にもじんわりと染み渡ってきた。

一人でいることは気楽だ。誰にも干渉されず、自分のペースで生きられる。でも、誰かと緩やかに繋がり、ささやかな優しさを交わすことの温かさ。美咲は、そんな当たり前の、でも忘れかけていた大切な感情を思い出していた。それは、都会の片隅で、少しだけ乾いていた心に注がれる、優しい雨のようだった。

数日後のよく晴れた午後。いつものように現れたミケは、なんと、口に小さなピンク色の花を一輪くわえていた。美咲の目の前にそっとその花を置くと、満足げに「にゃん」と鳴いた。それは、律子さんがベランダで育てている日々草の花だった。

「まあ、ミケったら。配達してくれたの?」 美咲は思わず笑ってしまった。そして、その花を持って、律子さんにお礼を言いに行った。 「あらあら、あの子が運んだの?ふふ、気まぐれなキャット・デリバリーね」 律子さんも嬉しそうに笑った。二人の間に、ミケが運んできた花を中心にして、温かくて柔らかな時間が流れた。

ミケが運んできたのは、花だけじゃなかった。それは、忘れかけていた人との繋がりの温かさであり、隣人との縁であり、日常の中に隠れている小さな幸せを見つけるための、新しい視点だったのかもしれない。大きなドラマがあるわけじゃない。でも、窓辺の気まぐれな訪問者がもたらしてくれたものは、美咲にとって、ささやかだけれど確かな「奇跡」だった。

三毛猫が運んできた、午後のひだまり

午後三時。窓の外では、ミケが今日もまた、ひなたぼっこをしている。その隣では、律子さんがプランターの手入れをしている。変わり映えしない日常。でも、その風景は、以前よりもずっと色彩豊かに、そして温かく美咲の目に映るようになった。

ミケがくれた、午後のひだまり。この小さな奇跡を胸に、美咲はまたパソコンに向かう。指先から生まれるデザインが、ほんの少しだけ、昨日よりも優しくなったような気がした。


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