公園のヌシと、止まったままの私
「あーあ、またやっちゃった……」
私、結衣、40歳、独身、しがない雑誌編集者。
手にしたコンビニの袋の底で、無残にも潰れたあんパンを見つめてため息をついた。
最近、どうにも集中力が散漫で、うっかりミスが多い。
原因は分かっている。
数ヶ月前に、15年連れ添った愛猫のミーコが、虹の橋を渡ってしまったのだ。
ミーコは、賢くて、物静かで、私の気持ちをいつも的確に察してくれる、自慢の相棒だった。
そのミーコがいない生活は、まるで色を失った映画のよう。
部屋にはまだミーコの匂いが残っている気がして、写真立てのあの子に話しかけては、ひとり涙ぐむ毎日。
新しい猫? とんでもない。ミーコの代わりなんて、どこにもいないのだから。
今日も今日とて、仕事は上の空。ランチタイムに公園のベンチでぼんやりするのが習慣になっていた。
木漏れ日の下、鳩を追いかける猫、のんびり日向ぼっこする猫……。
どの猫を見ても、「ミーコならもっと優雅に歩くわ」「ミーコはあんなにはしたなく鳩を追いかけたりしない」なんて、心の中で比べては勝手に落ち込む始末。つくづく面倒な女である。
そんなある日。
いつものように公園のベンチで、さっきのあんパン(潰れてない方)にかじりつこうとした、その瞬間だった。
「にゃっ!」
え? 今、何か声が……
と思った刹那、視界の端からオレンジ色の塊が猛スピードで接近してきたかと思うと、ガサゴソ! と私の持っていたコンビニの袋に頭から突っ込んできたのだ。
「ちょっ……あなた、何するのよ!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
袋から顔を出したのは、丸々とした茶トラの猫。
口には、私の昼食の残りのサンドイッチ(ハムとチーズ)をしっかりと咥えている。
しかも、こっちを「何か文句ある?」と言わんばかりのふてぶてしい顔で見ているではないか。
唖然とする私を尻目に、その茶トラは数メートル離れた場所に陣取ると、盗んだサンドイッチをそれはそれは美味しそうに食べ始めた。
その食べっぷりの見事なこと。
ミーコはもっとお行儀が良かった、なんて思う間もなく、あまりのことに、なんだかちょっと笑えてきてしまった。
「ふふっ……あなた、すごいわね」
それが、私と「トラ」――勝手にそう名付けた――との、あまりにも衝撃的な出会いだった。
翌日も、トラは公園にいた。
私がベンチに座るのを見つけるなり、短い尻尾をピンと立てて「にゃーん(なんかくれ)」と駆け寄ってくる。
昨日のお詫びのつもりで持参した猫用おやつを差し出すと、一瞬で平らげ、さらに「おかわりは?」と私の膝に前足を乗せてくる図々しさ。
ミーコなら、まず匂いをかいで、吟味して、それからゆっくりと……なんて比較は、もうやめにしよう。
この子は、ミーコじゃない。全く別の生き物だ。
トラは、とにかくやんちゃで、食いしん坊だった。
木に登ろうとしては途中でずり落ち、カラスにちょっかいを出しては追いかけられ、私の足元でお腹を出して寝転がり、撫でろと催促する。
そのどれもが、ミーコとは正反対。
最初は戸惑い、時には「もう、うるさいわね!」とイライラすることもあった。
でも、トラは全く気にする素振りもなく、ゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってくるのだ。
ある雨の日、いつもの公園にトラの姿が見えなかった。
傘を差しながらあたりを探すと、ずぶ濡れで震えているトラを植え込みの下で見つけた。
その小さな体が、やけに頼りなく見えて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「……うちに来る?」
自分でも驚くほど自然に、その言葉が出ていた。
トラを抱き上げ、タオルで包んで家に連れ帰った。
ミーコの使っていたケージは処分してしまっていたので、段ボールで即席の寝床を作った。
温かいミルクを出すと、最初は警戒していたトラも、すぐにがぶがぶと飲み干し、私の足元で丸くなった。
部屋の中を見回すトラの大きな瞳は、好奇心でキラキラしていた。
ミーコの面影が残るこの部屋に、新しい猫がいる。
それは、数ヶ月前の私には考えられない光景だった。でも、不思議と嫌な気はしなかった。
「この子は、ミーコじゃない。トラだものね」
ミーコの写真に、そう語りかけた。
すると、写真の中のミーコが、ふっと微笑んだように見えたのは、きっと気のせいだろう。
トラとの同居生活は、想像以上に賑やかだった。
朝は顔面フミフミで叩き起こされ、仕事から帰れば「おかえりー!(ごはんー!)」の大合唱。
パソコンに向かっているとキーボードの上に乗っかり、私が原稿を読んでいると、その上にどっかりと座り込む。
ミーコとの穏やかな日々とは全く違う、ドタバタとした毎日。
でも、その騒がしさが、いつの間にか心地よくなっていた。
トラのイタズラに「こら!」と声を荒げながらも、口元は緩んでいる。
食べこぼしを掃除しながら、「しょうがないわねぇ」とため息をつきつつも、その姿が愛おしくてたまらない。
気づけば、ミーコの写真を前に涙ぐむことはなくなっていた。
代わりに、ミーコにトラの「武勇伝」を報告するのが日課になった。
「今日はね、トラがカーテンによじ登って大変だったのよ。ミーコならそんなこと、絶対しなかったわよねぇ」なんて。
トラは、ミーコの代わりじゃない。
でも、トラはトラとして、私の心に新しい温もりと居場所を作ってくれた。
止まっていた時間が、トラのおかげで少しずつ、でも確実に動き出したのを感じていた。
ある週末、私はトラをキャリーケースに入れ、動物病院へ向かった。健康診断と、これからのことを相談するために。
「この子、うちの子にします」
先生にそう告げた時、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなった。
トラは、晴れて私の「うちの子」になった。
相変わらず食いしん坊で、時々、編集部にまでついてこようとするお騒がせ猫だけど。
「ねえ、トラ。あなたは世界一図々しくて、世界一可愛い、私の宝物よ」
日向ぼっこをしながらトラのお腹を撫でていると、ゴロゴロゴロゴロと、トラのエンジン音が部屋中に響き渡る。
その音は、私にとって最高の癒やしの音楽だ。
ミーコの思い出は、今も私の心の大切な場所に、キラキラと輝きながら存在している。
そして、その隣には、トラという新しい太陽が、温かい光を投げかけてくれている。
「猫のいる暮らしって、やっぱり最高!」
潰れたあんパンから始まった、この騒がしくて愛おしい日々が、これからもずっと続いていく。
そう思うと、自然と笑みがこぼれてくるのだった。
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